ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)
【国】フランス
【生】1839年
【没】1906年(67歳)
【分類】後期印象派
作品の特徴
りんご、カルタ遊び、水浴図、サント=ヴィクトワール山
セザンヌの絵のモチーフで多いのは「りんご」「カルタ遊び」「水浴図」「サント=ヴィクトワール山」である。
特にりんご。
「林檎一つでパリを征服してやりたい」と、セザンヌは口癖のように言っていた。
生涯で約200点の静物画を制作したが、そのうち60点以上がりんごを描いたものだった。
構築された絵
セザンヌは画家を志してパリに出るとアカデミー・シュイス(※)に入塾し、ピサロと出会う。
ピサロを通じてモネ、ルノワール、シスレーら、後の印象主義者と交流した。
ピサロから印象派の手法(=自然を前に「筆触分割」によって明るい色彩感覚を表現する新しい絵画)を学び、第1回と第3回印象派展にも出品した。
しかしそのうち、現象を描くことにとどまる印象主義には満足できず、堅牢な形態や量感とともに明晰な空間を構築する道を模索していった。
明晰な空間を構築する、とはどういう意味かな?
印象主義は、戸外制作を行い、時とともに変化する光の効果で見え方が変わる自然の一瞬一瞬を描くこと、明るい色彩、筆触分割といった点で新しかったが
- 「見たままを描く」という点ではそれまでの絵画と同じ
- 光の表現を重視するあまり、ものの形(輪郭線)が失われる
という側面があった。
構成感覚に長けていたセザンヌは、見たままの再現(模倣)ではなく、自然から得た感覚を制御して、画面内に独自の秩序を作り出すことを目指した。
それが「構築された絵=色、タッチ、形、構図などの要素すべてを考えた末に完成した絵」である。
人間の多視点を絵に表す
私たちは日常、身の回りの物体を、科学的遠近法やカメラのように物理学的には見ていない。
ある点から別の点へとまなざしを次々と移動させ、脳内で複数の視点から得たイメージを選択・合成して世界を把握している。
セザンヌは、この事実を絵画の上で表した最初の画家であった。
セザンヌの絵のモチーフ(例えばりんご・みかん・壺を描いた静物画)は、上から下から右から左から、色々な視点から描かれている。
このように複数の視点が画面に存在することが新しく、「視点を固定して遠近図法に基づいて描くべき」という大前提を崩した。
絵はモチーフを再現することではなく、絵独自の世界をつくり出すこと、これこそ今まで誰も考えなかった新しい視点であった。
こうした革新的な絵は多くの若い画家に影響を与えたため、セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれている。
ピカソやブラックはセザンヌの影響をうけてキュビスムを生み出したよ!
人生のポイント
エミール・ゾラとの出会いと別れ
ブルボン中学校で、後に自然主義の小説家として大成するエミール・ゾラと出会う。
ゾラはパリからエクス(セザンヌが生まれ育った南フランスのエクス=アン=プロヴァンス)に移り住んだときに、いじめの対象とされたが、ある日セザンヌが味方をした。
翌日ゾラは感謝のしるしに一籠のリンゴをセザンヌに贈った。
ここから2人は友情を結び、ゾラがパリに戻ってからも長年手紙のやりとりを続けた。
しかし1886年セザンヌ47歳のとき、ゾラが小説「制作」を発表。
画家志望の主人公が将来に絶望して自殺を遂げる物語で、画家はセザンヌをモデルとしていた。
2人の友情は破綻し、以後絶交することとなる。
妻子の存在は父には秘密
30歳のとき、アカデミー・シュイスでモデルのアルバイトをしていた19歳のオルタンス・フィケと出会い、一緒に暮らす。
2人の間には息子ポールが生まれるが、セザンヌは妻子の存在を長年、父親に隠し続けた。
仕送りを止められることを恐れたからである。
実際、39歳のときに秘密が父にバレた際には仕送りはストップされてしまい、その頃リッチになっていたゾラから援助を受けているよ~
2人が法的に結ばれたのは、17年もの内縁関係の後のセザンヌ47歳のとき。
前年、46歳のセザンヌが小間使いのファニーと恋愛関係になったことが、厳格なセザンヌ家で大問題となり、翌年、長年内縁関係にあったオルタンスと正式に結婚することで騒動がおさまったのだった。
父からの仕送りと莫大な遺産
セザンヌの父は元々帽子職人であったが、後に銀行家に転じて資産を増やしたことで、セザンヌは裕福な家庭で育った。
画家を志しパリに出てからも父親から仕送りを受け、生活には困らなかった。
セザンヌ47歳、オルタンスと正式に結婚後の10月に、父が88歳で亡くなる。
莫大な遺産(現在の日本円で約3.5億円)を相続することとなり、経済的な心配をすることなく仕事に打ち込める環境を手に入れた。
このように金銭面で不安のなかったこと(無理やり売れる絵を描く必要がなかったこと)が、大衆に迎合することなく革新的な絵画を生み出すことができた要因の一つであったといえる。
参考文献
- 『もっと知りたいセザンヌ 生涯と作品』永井隆則(2012)東京美術
- 『西洋絵画の楽しみ方完全ガイド』雪山行二監修(2011)池田書店
- 『ワイド版 101人の画家 生きてることが101倍楽しくなる』早坂優子(2011)視覚デザイン研究所
- 『鑑賞のための西洋美術史入門』早坂優子(2007)視覚デザイン研究所
- 『巨匠に教わる絵画の見かた』早坂優子(2012)視覚デザイン研究所